日本代表、ヴァヒド・ハリルホジッチ監督解任の発表がなされた後、その是非であったり、時期の問題であったり、後任人事であったりが、さまざまに議論されている。個人的にも色々思うところがあるので、文字に起こしてみようと思う。
まず先に要旨を書くと、代表監督の人事というのは勿論重要なファクターなのだが、あまりナーバスになり過ぎる必要は無い、と考えていて、大事なことは、「監督が誰か」よりも、「日本代表の強化理念」だと考えている。
改めて振り返ってみると、ブラジルワールドカップでの惨敗を受けて、2014年12月に日本代表の技術委員会が発表した日本代表の課題は、下記のようなものだった。
- ボール支配率は相手を上回るが、チャンスに決められない。
- パスはまわるが、ゴールに向かうプレーが少なくチャンスの数が少ない。
- ほとんど攻められていないが、致命的なミスが起こり失点してしまう。
- 互角の戦いをしている中で、個人の判断ミスから失点してしまう。
- 相手の強い個を止められない。
- 日本対策として、ロングボールを入れてくる、フィジカル、パワー勝負に持ち込まれる、相手の土俵でのサッカーを強いられる。
- 日本を研究され、持ち味や長所を消される戦いをされると、打開できない。
- ビハインドの戦いで、精神的な強さをプレーで表現できない。
- 負けている状態でも、後方でパスをまわすことを選択してしまう。
- 技術では上回るがアグレッシブさに欠け、覇気のない試合をしてしまう。
- 相手の気迫に負け、球際やセカンドボールの拾い合いで負ける。
上記の課題については、筆者を含め、殆どの日本人が感じたことと一致していると思う。課題を要約すれば、組織としては円滑に回っているように見えても、個々の局面ではミスが出たり、フィジカルで負けてしまったり、ということが発生して、結局は失点してしまう、もしくは攻撃で相手の守備を打ち破れない、ということであり、2015年3月に就任したハリルホジッチ監督の選出は当然、上記の課題を克服する、という理念のもとに行われた。
実際にハリルホジッチ監督が掲げたサッカーも、この課題を強く意識したもので、彼の率いる日本代表では、組織を円滑に回す力よりも、個々の局面で相手に負けない力、いわゆる「デュエルに勝つ力」が重要視された。
ここで大事なのは、ハリルホジッチ監督は、日本代表の強化理念に基づいて選ばれた、ということである。ハリルホジッチ監督が日本代表の強化理念を叫んだのではない。代表監督というのは、日本代表の強化理念を選手に落とし込む橋渡し役であり、重要な役割であることは確かだが、それが代表のサッカーの集約点ではない。
したがって、監督を変えてしまったから、この3年間の日本代表の成果が評価できなくなったとか、過去のサッカー(つまりデュエルを重視しないサッカー)に戻ってしまう、という判断をするのは早計であり、大事なのは、ハリルホジッチ監督からバトンを受け継いだ西野朗監督が、上記の強化理念に則ったチーム作りをするのか、という部分、そして、監督が誰であろうと、ロシアワールドカップが終わった後、日本代表の課題はどれだけ克服されたのか、ということである。
西野監督に代えて結果が良くなったからハリルホジッチ監督の貢献が無かったことになる、というものでもないし、西野監督に代えて結果が悪くなったから、ハリルホジッチ監督の手腕が全て肯定される、というものでもない。
その本筋に準拠してさえいれば、別に監督を途中で代えても問題は無いし、ワールドカップまであと2か月、という時期も決して遅すぎるとは言えない。寧ろ、監督が強化理念の橋渡しを出来なくなっている、という状況を放置することの方がよっぽど問題である。監督がどれだけ高度な戦術メソッドを持っていようと、結局プレーするのは選手なので、それをどれだけ選手に伝えられるか、信じて実行させることが出来るか、ということも含めて監督の評価である。
逆の言い方をすると、日本代表の監督が代わって、デュエルを重視しない、2014年以前のサッカーに戻ってしまった、ということになると、これはワールドカップの結果如何に関わらず失敗である。上述の通り、代表の強化の集約点は監督ではなく、技術委員会の強化理念である。監督が代わって強化方針まで変わってしまった、ということになると、それこそ技術委員会の存在意義が問われることになる。西野監督の日本代表は、これまでと変わらず、デュエルを重視するサッカーにチャレンジしていけるのか。本当に大事なのは、監督人事ではなくそこだと考えている。
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